ほのかな光で 花は開く 2月
A flower will bloom even with the faintest of light.
東京のお寺のご老僧にこのようなお話を聞いたことがあります。
第二次世界大戦終戦後、疎開先から東京に帰ってくると一面が焼け野原になっており、住まいでもあり、何百年もの歴史があったお寺も燃えてしまい、遊びに行った近所の友だちの家や、よくおつかいで行った八百屋さんもすべて燃えてなくなり、子どもながらに絶望したそうです。
しかし、瓦礫の下からご本尊の阿弥陀如来像が無事に出てきた瞬間に希望を感じ、お寺は復興できるし、この国も大丈夫だと思ったそうです。その日から気持ちも新たに阿弥陀さまを信じ、お念仏をおとなえし続けたところ、その阿弥陀さまは、やがてお檀家さまや近所の信仰のよりどころである希望の光となり、お寺も復興していったとおしゃっていました。
戦後80年、私たちの生きる現代も大変な時代を迎えようとしています。世界に目を向ければ、戦争や紛争が各地で起こり、罪のないおびただしい数の人々の命が失われています。日本でも信じられないような凶悪事件が起きていますし、天災地変など、いつ何が起こっても不思議ではありません。
法然上人は「平生の時、照らし始めて最後まで捨て給うなり」とお示しになられました。これは、苦しみの世界を生きる私たちも、常日ごろ、心の底から阿弥陀さまを信じて、「南無阿弥陀仏」とおとなえすれば、最期を迎える時も、阿弥陀さまは私たちを見捨てず、必ず西方極楽浄土にお救いくださるということ。阿弥陀さまが照らしてくださる慈悲の光は、かつてご老僧が焼け野原でご本尊の阿弥陀さまから感じられたような希望の光と同じものといえましょう。
また、できるだけやわらかな顔で優しい言葉で相手に接するというような、日々の生活での小さな善行。こうした小さな善行がやがて他の人に良い影響を与え、大変な時代、迷いの世界を少しでも良い世界に変えていくきっかけになるかもしれません。
ほのかな光ともいえる日常の小さな善行。それを積み重ねていくことが、希望への確かな光となり、いつかは花を咲かせることになるでしょう。日々、阿弥陀さまを信じお念仏をおとなえし、毎日をできるだけ「明るく、正しく、仲良く」過ごしていきましょう。
(長野市元善町 浄願坊 若麻績大成)
新たな芽の出る年に 2025年1月
This is the year to take another step forward.
一年の計は元旦にあり。一日の積み重ねが一年となり、その一年が人生を形作ります。その区切りとなる元旦に、志高く目標を立てることが大切だと昔から伝えられてきました。
しかしどうでしょうか。自分との約束を何度も破り、計画倒れになってしまう。私たちは毎年目標を立てても、日々の誘惑や慣れた生活に流されがちです。
私は、大学生の時に花粉症を発症し、以来毎年のように鼻水が止まらず、目は痒くてたまらない状態が続いています。その症状が風邪を引き起こし、体調を崩すこともしばしば。症状が出る前に薬を服用すれば軽症で済むと聞き、来年こそは花粉が飛ぶ前に対処しようと決心するのですが、翌年にはまた忘れてしまい、症状が出てから「ああ、心に決めたのに」と後悔することになります。花粉症なら笑い話で済みますが私たちの生と死の問題ではどうでしょうか。いつ命を終えるか分からない儚い私たちが死後どこに行くのか定めていたのに、計画倒れしてしまうことは大変恐ろしいことと思いませんか。
法然上人は在家信者の質問に答えた「十二箇条問答」のなかで、「念仏して往生せんと心ざして念仏を行ずるに、凡夫なるがゆえに貪瞋の煩悩おこるといえども、念仏往生の約束をひるがえさざれば、かならず往生するなり」と述べられました。
それぞれの事情でお念仏を絶え間なくとなえることができない私たちは、阿弥陀さまの願いを守れず、計画倒れになってしまいがちです。しかし、さまざまな煩悩が湧き上がってしまう凡夫の私たちでも、阿弥陀さまの救いを信じ、お念仏をとなえ続ける念仏往生の約束(決意)をひるがえさなければ、必ず阿弥陀さまは救ってくださるのだとお示しくださったのです。
私たちの一年の目標は、立てたその瞬間だけでなく、途中で何度も自らを励ましながら、自分との約束をひるがえさないように、改めて進むことが大切です。私たちの生と死の問題も、ふと極楽へ往生したいと思った時だけでなく、お念仏をとなえながら何度も自らを励まし、阿弥陀さまとの約束を守るために、あらためて進むことが大切です。それが凡夫の私たちが「新たな芽の出る年に」できる鍵ではないでしょうか。
(大分県佐伯市 潮谷寺 黒木祐)
見守られている幸せ 12月
The people you love who have passed away are watching over you.
令和6年も残すところわずかとなりました。今年は元日に起きた能登半島地震に始まり、各地で台風、記録的豪雨による被害が相次ぎました。
9月には復旧半ばだった能登半島を豪雨が襲い、再び被災した女性が「神も仏もあるものか。心が折れた」と絶望を口にされていたのをテレビで目にしました。それでも無常の中、命ある限り前を向いて生きてゆかなければなりません。それは時に残酷で、全てから見放された思いを当然感じることだと思います。私たちも地震でなくとも、突然の事故や病気で大切な家族を亡くしたり、今まで築き上げてきた幸せを一瞬で失いかねないこの世の中です。
それでも、たった一人絶望に苦しむ人を、次こそは迷い苦しみのない西方極楽浄土という場所に救いたいと願い続ける阿弥陀仏という仏さまがいることをお伝えさせていただきます。
中国・唐代の高僧である善導大師は阿弥陀さまとお念仏をとなえる私たちの関係を、まさに親子のような関係から親縁と名付けられました。
「衆生、仏を礼すれば、仏これを見給う。衆生、仏を唱うれば、仏これを聞き給う。衆生、仏を念ずれば、仏も衆生を念じ給う」
この関係は一方通行ではありません。必ず声に応えてくださるのが阿弥陀さまです。過去・現在・未来と三世を通して、お浄土へ救いたいと手を差し伸べ続けてくださる仏さまです。私たちは過去世からの因縁でようやくお念仏をとなえる身となりましたが、ずっと昔から私たちを救いたいと願い仏になられ、お浄土を構えて「南無阿弥陀仏」ととなえることを待ち望んでいてくださいました。差し伸べられていた手をようやく握るようにお念仏をとなえたならば、また、その手を優しく握り返してくださる仏さまなのです。
阿弥陀さまの見守りとは、この世においても常に寄り添い、何があってもお浄土に救い取るぞ、と願われていることです。そして臨終の際は枕辺までお迎えに来て、お浄土にお連れくださるのです。お念仏をとなえる私から、この世、後の世と離れることのない仏さまであります。
来年も阿弥陀さまの見守りを近くに感じ、共にお念仏行に精進して参りましょう。
(静岡県静岡市 善然寺 野田幸華)
共に願い 共に生きる 11月
Let us support each other for a better and happier life.
近年、国内では毎年のようにどこかで大きな災害が発生しています。私の住んでいる福島県いわき市でも東日本大震災、令和元年東日本台風、そして昨年の台風13号による線状降水帯による豪雨災害と、この13年の間に三度の大規模な災害に見舞われました。そういったことから法務の傍かたわら災害支援に携わるようになり、近年の災害の頻発も相まって、被災地に赴くことが増え、災害の度に苦しむ人々の姿や言葉に接する機会が増えました。災害は当たり前の日常を一変させ、それまで積み重ねてきた全てをいとも簡単に根こそぎ奪っていきます。自然の猛威の前に成す術すべなく変わり果てた被災地の惨状や悲嘆にくれる人々の姿は正に一切皆苦の現前です。しかしそれを前に一人の僧侶としてできることなど災害では何の役にも立たない現実をこれまで何度となく突き付けられてきました。
しかし、被災地にはさまざまな人や物が集まってきます。重機の運転に長けた人、炊出しを得意とした人、住宅の補修を得意とする人、人の話を聴くのが得意な人、看護や医療に精通した人、被災地から離れた所から応援ができる人、またそういった人と物を繋げることを得意とした人… …。様々な人たちが、「被災地・被災者のため」という同じ目標を持ち、互いの弱みを補いながら連携し協力することで、復旧・復興が一歩一歩前に進んでいく、そこには被災者とか支援者とか分け隔ては無く、今必要なことを共に考え、共にできることを全力で行っています。その無私の活動(ボランティア)の姿は正に菩薩そのものであり、遠い昔、恐らく阿弥陀さまも法蔵菩薩の時に同じような経験をされ、全ての者が救われる万民救済の道を求め仏となることを目指されたのでしょう。
それを教えてくれたのはこれまで足を運んできた被災地であり、そこでご縁をいただいた多くの人たち、そしてそういった中で私だからできる支援があることも教えてくれました。
私は被災地での活動の最後の挨拶に「また来ますね」と言うことを信条としています。それは災害という最悪のご縁ではあるけれども、「これからも共に力を合わせ、歩いていきましょうね」というメッセージでもあり、「共に願い、共に生きる」お念仏の教えを信じる者としての大切な約束なのです。
(福島県いわき市 阿弥陀寺 馬目一浩)
同じ月を眺めている 10月
The moon may look different depending on where you are,but it shines down equally on us all.
夜空を見上げると、金色の輝きを放つ月が、私たちのことをいつも見守っています。幾千もの星の輝きを見ることが難しくなった現代であっても、月は変わることなく私たちを照らしてくれているのです。
古来、多くの日本人が煌々と輝く月を眺め、さまざまに表現してきました。「天の原 ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも」という『百人一首』に収められているこの歌は、今から1300年前、遣唐使の阿倍仲麻呂が、かの地で詠んだ歌だと伝わります。「この広い空を仰ぎ見ると、故郷の大和国(奈良県)春日にある三笠山の上に浮かんでいた月と、今見ている月は同じなのだな」という想いが込められているそうです。
浄土宗を開かれた法然上人も月を取り上げて歌を詠まれました。「月かげのいたらぬさとはなけれどもながむる人の心にぞすむ」。浄土宗の宗歌「月かげ」です。この歌には、「どんなに遠く離れていてもどこにいようとも、月を眺める人にその光が等しく届くように、阿弥陀さまの慈悲の光も、すべての世界を照らし、お念仏をとなえる人を平等に救ってくださる」ということが示されています。阿倍仲麻呂も法然上人も、はるか昔のお方です。しかし、お二人が眺めていた月と私たちが眺める月は、時代も場所も異なりますが、同じ月に他ならないのです。
阿弥陀さまは、はるかな過去から、現在、そして計り知れない未来まで、あらゆる場所に生きる私たちのことを分隔だてなく照らしてくださります。しかし、月の輝きに気がつかずに通り過ぎてしまったら、いつまでも月を見ることができないように、阿弥陀さまの救いに気が付かずに日々を過ごしていたら、まことにもったいないことです。阿弥陀さまは、「わが名を呼べ」と仰せになりました。「南無阿弥陀仏」ととなえるだけで、必ず私たちを照らし、やさしくお導きくださるのです。
10月は各地の浄土宗寺院で十夜会が厳修されます。明治の俳人である正岡子規は「月影や 外は十夜の 人通り」という句を詠まれました。子規もまたお十夜の賑わいをご覧になりながら、月明かりと阿弥陀さまの慈悲の心を感じとっていたのでしょう。夜空に輝く「同じ月」を眺めながら、私たちもお念仏をおとなえしましょう。
(神奈川県横浜市 慶岸寺 林田徹順)
西方の彼方の確かな場所 9月
On the other side of the western horizon lies the Pure Land.
私の住むイビウーナ日伯南寺は、南米・ブラジルの人里離れた高台の上にあります。
数年前、社会復帰施設から「外出訓練の一環として参拝したい」と数名の男女が心理療法士と来寺し、本堂に入るなり木魚を指さし「これは何か」と尋ねてきました。私は「お念仏をする時に使います。お念仏とは『NAMU AMIDA BUTSU』と仏さまの名前を呼ぶこと。私たちも呼ばれれば振り向くでしょう。だから、呼べば必ず仏さまが見守ってくれますよ」と、拙いポルトガル語で説明し、「ためしにどうです? 」と、10分程、木魚念仏をしました。最初は聞きなれない木魚の音やお念仏を面白がっていましたが、次第に木魚の音もそろい、お念仏の声も大きくなり、涙を流す人もいました。
お念仏を終えると、「お寺でしかお念仏はできないのか」と問われたので、「いつでもどこでも『南無阿弥陀仏』とおとなえするだけでいいですよ」と伝えるも、心配そうな顔だったので「では夕陽に向かってとなえてください。阿弥陀さまは夕陽が沈む西の方におられます。そこには仏さまと一緒に、今はこの世にいない皆さんの大切な人たちもいらっしゃる」と話すと、涙を流していた人は、再び涙ながらにお念仏をとなえはじめました。帰り際、その男性は「仕事の失敗から薬物に手を出してしまった。お念仏をとなえた時、妻や子供、亡くなった父母を思い出し、夕陽の彼方からみんな見守っていると聞いた途端、家族に見放され、追いやられたと自棄になっていた自分こそ、家族を見失っていたと気づいた。今日のことは忘れず、必ず家族の元に戻る」と手を握りしめ話してくれました。
今も施設から参拝とお念仏を頼まれますが、利用者の一人がコロナ禍で配信していた夕日に向かって礼拝する動画を見ながらお念仏して、心が安定し、退院したという話を聞きました。あの時の彼だったのでしょうか。あの時気づいた自分を決して見放さない人たちがいる「確かな場所」を支えに、家族の元にいてくれていたらと思います。
法然上人が西方浄土を指し示して850年、その指先は時と海を越え、日本からはるか西、ブラジルの地でも、不確かな世相に不安を抱えながらお念仏をとなえる人たちに「確かな場所」はここだと指し示し続けています。
(南米 イビウーナ日伯寺 櫻井聡祐)
墓掃除 清められるのは私 8月
Cleaning Your family’s grave will make your spirit lighter.
小学生や中学生のとき、本人であれば生徒全員で学校の割り当りあてられた場所の掃除を、当たり前のように義務として行ってきたと思います。しかし、実は世界的に見ると日本のように生徒が学校の掃除をする国は多くありません。
例えば、欧米では大部分の学校で清掃員が掃除を行っています。これは掃除を清掃員に任せることで学生が勉強に集中できるという考え方に基づいており、学生が学校を掃除するべきであるという考え方は主流ではありません。そのため、ゴミが落ちていてもそれは清掃員が拾うべきで自分たちが拾うべきではないと考える生徒も多いようです。
一方、日本人は学生時代から掃除を当たり前のように行ってきているためか、大人になってからも公共の場をきれいに清潔に保とうという意識があり、自分たちが使った場所は自分たちで掃除をしようという意識も自然と備わっています。
数年前、サッカーの国際大会で選手たちを応援していた日本人のサポーターがスタジアムのゴミ拾いをしたり、試合をしていた日本の選手たちも更衣室を掃除していたことが報道されると、世界的に賞賛され、注目を浴びました。掃除は世界に誇れる日本文化の一つと言えるでしょう。
私たち僧侶においても、掃除は非常に大切にされてきました。僧侶の生活は、「一掃除、二勤行、三学問」といわれ、何よりもまず掃除を優先すべきであると伝えられています。掃除をすると、汚れた場所がきれいになるのは当然ですが、掃除には掃除をしている人の心を磨き、清める効果があります。掃除をしていないと場が汚れ、乱れてくる。それがそのまま、心の汚れや乱れとなって現れます。場や心が汚れ、乱れたままでは成すべき事に注力することは難しくなります。ですから、まず事を成す前に、掃除をして場と心を清めることが僧侶の生活では最も優先されているのです。
8月はお盆の時期です、古来、お盆は極楽浄土から先立たれた私たちのご先祖さまがこの世に還って来られる期間と伝えられます。お盆期間中には是非、お墓の掃除に出掛けましょう。掃除をして清められるのはお墓だけではありませんから。
(富山県魚津市 大泉寺 林秀峰)
周りを照らす人になろう 7月
Be someone who helps others.
長く続いた梅雨の空。夏を目前に控え、澄んだ夜空に星々が光り輝くのを心待ちにしている方も多いことでしょう。
皆さまは国際宇宙ステーション(ISS)にある日本実験棟「きぼう」をご存知でしょうか。 ISS/ 「きぼう」は、夜空に輝く星たちと同じくらいの明るさで観測ができる、サッカーコート程もある巨大な実験施設のことで、地上からはるか400キロメートル上空を1周約90分というスピードで周回し、宇宙開発技術の進展のみならず、教育や文化などさまざまな分野で貢献しています。
そんなISSを肉眼で見ることのできる条件は大きく三つ。①空が晴れていること。②近くをISSが通過すること。③地上は夜だけど、ISSは昼であること。
①と②については説明せずとも理解しやすいでしょう。では③について、そもそもISSは自らが光を放つのではなく、太陽の光を反射しているために光って見えます。ですから、ISSを地上から見るためには、ISSに太陽の光が当たっている時間、つまりISSにとって昼である必要があります。
その一方で、地上では昼間に星が見えないように、夜にしかISSの輝きは見ることができません。地上は夜だけど、ISSは昼であるという都合のいい条件はあるのでしょうか。
それは、日の出前や日の入り後の約2時間。この時間帯だけ地上は夜なのに、はるか上空のISSはまだ昼の時間になるのです。この時に夜空を見上げると、夜空に輝くISSの「きぼうの光」を見ることができるのです。
このきぼうの光は、まさに未来を照らす灯として、夢と希望を与え続けてくれます。では、私たちも周りを照らす灯となるためには、どうすればよいのでしょうか。
難しいことはありません。人々に手を差し伸べ、慈しみの心を持って接することです。大切な方が悲しんでいれば一緒に悲しみ、笑顔にしてあげたいと思う。私たち一人ひとりの心は小さな灯にすぎませんが、それがたくさん集まれば大きな光となります。それがきっときぼうの光のように、周りを輝き照らすものとなっていくことでしょう。
(北海道小樽市 天上寺 石上壽應)
心の中も衣替え 6月
When changing out your clothes for the season refresh your spirit as well.
紫式部を主人公とするNHK大河ドラマ『光る君へ』。女房たちの豪華な装束に目を奪われますが、髻(もとどり)まで透けて見える男たちの烏帽子(えぼし)しも涼やかです。聞けばあの「透け烏帽子」、12年前の『平清盛』制作時に、デザイナー・柘植伊佐夫(つげいさお)氏が絵に軽さを出すために考案したものなのだとか。髻は見せてはならぬものだったという史実が演出の後塵を拝したかたちです。
6月は衣替えの季節。冬物から夏物に替われば身も心も軽やかです。また夏らしい素材や色彩は周囲に涼をもたらします。「装い」にはそうした心遣いが託されているのです。しかしながら「装う」と聞くと、息子や孫になりすましたオレオレ詐欺などが真っ先に思い浮かぶ方も少なくないことでしょう。つくづく物事を好意的に受けとめることが困難な時代です。
今から23年前、私は20代後半になってから四国の寺へ帰りました。大阪での会社勤めを終えたばかりで、法衣を着るどころか、法衣に着られるような始末。そんなある日、出先から法衣姿で帰ったところ一人のご婦人と邂逅しました。かつて併設していた保育園で長年にわたって保育士として勤めてくださった先生でした。私にもずいぶん手を焼かれたはずで、このバツの悪さをどうごまかしたものかと、必死で言葉を探し、自身を装いました。ところが先生は私をひと目見るや、合掌されて深々と頭をお下げになられたのです。慌てて私も合掌しましたが、先生の嬉しそうなお顔を拝見すると、ますます言葉は見つかりませんでした。
「水を掬(きく)すれば月手に在り花を弄(ろう)すれば香衣(こうえ)に満つ」。唐の詩人・干良史(うりょうし) の句です。水を掬(すく)えば掌(てのひら)に月があり、花を折れば香りが衣に移る。『光る君へ』では紫式部が桶の水に映る月に道長を重ねて両手で掬うシーンが印象的でした。
葦の生い茂る池にも月は宿ります。遠くからは分からなくとも、近づいてよく見れば葦の奥から顔を覗かせる月影(つきかげ)。お念仏をとなえていれば、妄念の葦が茂っていようとも、暗夜を照らす阿弥陀さまの光明をしっかり頂戴することができると、法然上人はお示しくださいました。どんなに心が覚束(おぼつか)なくとも怠らず努め励む。すると自然に心が具そなわっていくのです。
(愛媛県愛南町 金光寺 吉田哲朗)
比べなくても あなたはあなた 5月
You have your own good qualities so don't compare yourself with others.Just be who you are.
新緑が目に鮮やかな季節になりました。私はスギの花粉症なので、久々に新鮮な空気を思い切り吸い込めてうれしい毎日です。お檀家さんに会えば、「良い季節になりましたね」とあいさつを交わしています。
しかし、ふと考えてしまいます。本当に良い季節なのかしら、と。私にとっては良い季節でも、イネの花粉症の方にとってはピークを迎える悪い季節かもしれません。「良い」も「悪い」も人それぞれに異なるもの。「季節」はただ「季節」に過ぎず、私たちが勝手に個人的評価をつけているだけなのかもしれません。
私たち自身も勝手な評価をお互いにつけ合い、時にそれに苦しんでいると感じることが多々あります。職業柄、悩みの相談を受ける機会がありますが、そこで気づくのは評価されたり、比べられたりすることに疲れている方々がたくさんいるということ。この世界は小さいころから、成績という評価軸で他人と比べられる競争社会です。例えば95点をとっても、親からはほめてもらえずに、「なんでこの5点ができないんだ!」と叱られていたなんてお話をうかがったことがあります。その親にとっては「95点を取ったがんばった」子ではなく、「あと5点を取れなかった残念な」子になってしまい、本人もご自分をそう思うようになってしまったのだそうです。
家庭や学校では「良い子」や「普通の子」であることを求められ、ちょっと外れてしまうと「ダメな奴」「変な子」というレッテルを貼られてしまう。大人になっても同様で、いつまでも他者からの評価を気にする社会に生きなければなりません。疲れてしまうのも自然なことです。
浄土宗が拠り所とする経典『阿弥陀経』に、「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」という一節があります。これは極楽浄土では青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を放つという描写で、それぞれの花がそれぞれの光で輝く、その良さを示したものです。
阿弥陀さまの世界は、評価されることも比べられることもなく、みんながそのままでいて良い世界。現代社会はなかなかそうはいきませんが、阿弥陀さまはいつも、「あなたはあなたのままでいいんだよ」と語りかけてくれています。
(東京都府中市 蓮宝寺 小川有閑)