辛さを知って やさしくなれる (2月)
―Knowing hardship allows tenderness of spirit to bloom.―
この言葉を見たとき、私はグリーフケアのことを思いました。
グリーフケアというのは、大切な人を失った深い悲しみと苦しみの中におられるご遺族に寄り添い、そこから立ち直れるようサポートすることです。
以前からグリーフケアのことは聞いていましたが、それほど興味を持ってはいませんでした。それは、私がまだ身近な人の死に出会っていなかったからです。
平成21年3月14日、私はたった一人の師僧を亡くしました。名声や知名度の高い人はこの世にたくさんおられると思いますが、師僧は地道ながら、人々の苦しみに親身に寄り添い思いやる心、生きる大切さを一人ひとりと対話する、私にとって最も尊敬する大切な方でした。その師僧を失ってから、私の心は悲しみと苦しみの中で、のた打ち回っていました。そんな時、グリーフケアと出会ったのです。
それまでの私は、多くのご遺族と接しながら、その深い悲しみを「理解」していたつもりですが、まったく「判って」いなかったのです。理解することと、心が判ることはまったく別物でした。そのことが私自身、身近な人の死に向き合ってようやくわかりました。
そんな時、仏縁なのでしょう、不思議な巡り合わせで、グリーフケア専門の先生と出会い、多くのことを学んだことで、ようやく少しずつ立ち直れたのです。このときから私は、自分に与えられた使命が何であるのか、はっきりと実感できるようになりました。
「なぜ尼僧さんになったのですか」と問いかけられた時、以前は、「修行をし続けたかったから」と答えていました。しかし今なら、「ご遺族の悲しみに寄り添い、その苦しみを共有し、サポートするためです」と答えるでしょう。今、私がすべきことはグリーフケアであると確信しているからです。
悲しいかな、人は自らがその痛みを負わないと、なかなか他人の痛みを知ることができないものです。師僧は、人生最後の教えとして、自らの死をもって、私に「グリーフケア」の大切さを教えてくださったのだと思います。
これから、私に残された人生がどのくらいあるかわかりませんが、許される限り、ご遺族の方々のお役に立てることができれば幸いと考えています。
あるご遺族がおっしゃいました。「私たちの『悲しい』は、『愛おしい』なのですよ」と。
遺族の悲しみと苦しみがいつの日にか愛おしいと思えるように、私も共に分かち合い、お支えできる、そういう人生が送れればと祈る、今日この頃です。
(京都市 西寿寺 稲垣妙順)