貪りの人生でなく 知足の人生を 12月
―Lead a life of sufficiency, not craving.―
幼稚園に息子を迎えに行くと、教室で二人の女の子が喧嘩をしていました。
「私が最初に見つけたクレヨン返してよ!」
「私が最初に使ってるからやだ!」
二人仲良く机を並べて、描いている途中の絵を残したまま、お互いの叫び声、泣き声が続きました。
二人にとっては怒ってばかり、泣いてばかりのつまらない時間が流れていきます。
そのうちに、それぞれのお母さんが迎えに来たので、二人ともクレヨンを片付けて喧嘩は収まりました。
喧嘩をしてしまったため、お母さんの後ろを泣きながら帰っていく二人。もちろん、友達と仲良く遊び、笑いながら「あのね、あのね」と楽しそうに話しながら帰っていく子、さまざまな様子の子どもたちがいました。私はそんな様子をみながら息子と帰るなかで、私は喧嘩をしていた二人の女の子のことを思い出しました。
――仲良く机を並べて絵を描いていたのに、クレヨンひとつでなんで楽しい時間を台無しにしてしまったんだろう。時間が来れば戻す物なんだから、ムキにならなくてもいいのに――。
しかし、考えてみれば、私も些細なことにこだわり、時には奪い合い、怒り、涙を流すこともありました。その守ろうとしている物はずっといつまでも私の手元においておけるものでもないし、ましてや人生を終える「お迎えの時間」が来たときには全て置いていかなければならないのに……。
あの女の子たちの姿はある時の私の姿かも知れないと思いました。
欲に縛られれば、ぶつかり合いばかり、怒ってばかり、泣いてばかりのつまらない時間が流れることでしょう。とはいえ、欲は多かれ少なかれ、捨てることが出来ないのも事実です。だからこそ、周りを傷つけ、自分を傷つける悲しい時間を長く過ごすよりも、少しでも欲を減らしてみんなが笑顔になれる時間を過ごしていきたい。
そして私にもいつか訪れる「お迎えの時間」には、極楽浄土にいるご先祖さまに「あのね」と、嬉しい話ができるように、「貪り」の人生でなく、足りていることを知る「知足」の人生を歩み、お迎えくださる阿弥陀さまのお名前、「南無阿弥陀仏」をとなえていきたいと思います。
(静岡県藤枝市 養命寺 安井隆秀)