西願寺(さいがんじ)は、埼玉県草加市にある浄土宗の寺院です。

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浄土宗 西願寺(さいがんじ)

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埼玉県草加市遊馬町(あすまちょう)430 

浄土宗 西願寺

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不足を数えず 感謝に生きる 11月

―Without complaining about what you lack, 
be grateful for what you have.―

 「スポーツの秋」といいますが、私は運動が全くだめです。ボーリングの球の投げ方さえよくわかりません。どうやって三つの穴から同時に指を抜いて、球をまっすぐ転がせるのか。なんとなく他人の形を真似、右手で球を持ち上げ、左手を添えてみます。この左手はいつ外せばよいか。腕はどこまで反らせばいいのか。 勢いよく手を前に出すと、そのまま腕が飛んでいきそう。あっ、指を離すのを忘れていた。思い切って離すと、球はレーンから逸れガーター。そして、こんなものなにが楽しいのだろうと悪態をつく。スポーツはこんな感じで苦手です。
 言い訳をすると、病気で運動を禁止されていたので、体の使い方がよくわからないのです。ですから、自然に体を動かしてきた人とは根本的に体の作りが違うことが理解されません。最初は「自分に合う重さの球を選んでみたら?」「投げるまでの歩数を決めるといいよ」と、みんな優しく教えてくれますが、そんなアドバイス、私には焼け石に水。「自分に合う重さ」がわからないし、歩数を決めたら歩くことに必死で、レーンまで球を持って散歩してしまう。優しかった人も「なんでできないの?」と怒りだす。なぜ人は、自分ができることを他の人ができないと怒るのか、昔からの疑問です。
 最近は病も落ち着いたのでスポーツに挑戦することにしました。今はボクシングをやっています。強くも上手くもなりませんが、「腹筋ってこんなところにあったんだ」とか「あっ、今胸筋を使ってる」とか、大きな屋敷の真っ暗な部屋を手さぐりで歩いてスイッチを入れ、明るくしていくように、今までなかった体の感覚が増えるのが楽しいと感じています。体の使い方が全然わからない真っ暗な状態でしたから、一つでも明るくなると喜べるのです。
 子どものときは健康な体で走り回ることを求め、そうでない自分にいらだち、どうにもならないことを求め続けました。けれど私に必要だったのは、できないことに目を向けることではなく、できない自分を見つめることだったのです。そこを見つめずに本当の喜びを得ることは難しいと気づきました。
 もし、何もできない自分を見つけ愕然としたら、南無阿弥陀仏ととなえてみる。それでいいとおっしゃってくれる阿弥陀さまがいらっしゃいます。そんな大きな存在に出会えたとき、多くの縁によって生かされていることに気づけます。それを感じると、出会った様々な縁に感謝せずにはいられません。

  
(神戸市 西光寺 髙倉直人)
 

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